そして1963年になると、10名のMGオーナーが設立発起人として集まり、日本のMGオーナーとMG愛好家の為の規律あるクラブ作りの準備が具体的に進められました。 この結果、今度は英本部から快く登録が承認され、同1963年10月24日、東京の麻布プリンスホテル(当時)において、およそ20名の賛同者を集めて新生MGカークラブ・ジャパンセンターの設立パーティーが催されました。 初代会長には、やはりMG愛好家である三井グループの総師、三井八朗右衛門氏が選出されました。 また、会則が制定され、エンブレムは英本部のそれに準じ、上部にJapan Centreのロゴを戴くデザインに制定されました。シルバー・プラックが正賞に制定されたのも創立時からのことです。 創立早々、MGCCは当時MGの輸入元であった日英自動車から、輸入が始まって間もないMGBによる第2回日本グランプリ参加の要請を受け、折から来日中であったスターリング・モス氏のテストとチューニング・アドバイスを得て仕立て上げられたMGBは、会員の手によって完走を果たしました。 MGスピリットの伝統に沿って、MGCCは当時からスポーツ・イベントが盛んでした。日本自動車連盟(JAF)に加盟クラブとして登録もしました。箱根芦ノ湖スカイラインでのヒルクライム、大磯ロングビーチでのタイム・トライアルなど、他の追従を許さない豪快で独自性のある催しが名物イベントとして世間の注視を集めたのもこの頃からです。 しかし、こうした評判が広まるにつれ、MGCCの名物イベントはJAF加盟クラブとしての責もあり、公認イベントとして外部からの参加者を多く招く事になり、運営する会員の負担が急激に増しもしました。 議論を重ねた結果、MGCCはJAF加盟クラブの資格を自ら返上し、本来の会員による会員の為のクラブに徹する事を新たに誓い合いました。 この新方針により、MGCCは創立時以上に会員同士が親密になり、またイベント内容もバラエティーに富んで楽しいものとなり、その効果によって一気に会員を増やす事にもなりました。 創立以来MGCCの伝統となっている民主意識の高さにより、会員が公平にクラブ・ライフを愉しめるようになったことで、MGCCはささやかなワンメイク・クラブでありながら、他からうらやましがられるようなソシアルクラブに成長したのです。 最初は会員のMGによるコンクールデレガンスで出発したMG Dayも2016年には第30回を迎え、各地のMG愛好クラブからも積極的に支援され運営を分担されるまでになりました。 その一方でMGCCは2013年には創立50周年を迎えたことでもあり、全会員が力を合わせ、その歴史が築いた独自の伝統と慣習を守りつつ、新しい時代に相応した魅力あるクラブ組織に発展するよう努力する決心をしております。 |