MG Car Club Japan Centre の歴史
太平洋戦争終結後の日本において、MG愛好家を代表するJ.L.Johnson氏が中心となり、MG Car Club(Japan Centre)が英本部MG Car Clubの承認を受けて設立されました。しかしその直後の1951年3月に駐留軍人を中心として設立されたSports Car Club Of Japan (SCCJ)と合併したことにより、誕生したばかりのMGCCはほんの僅かの期間で一時消滅しました。
その数年後、再びJ.L.Johnson氏によってMG Car Clubの復活準備がなされましたが、手続き上の問題により英本部の承認を得られず、残念ながらこの復活準備は自然消滅しました。やがて同氏は離日することになりましたが、初期から同氏とともにMGを愛していた西端日出男氏がその意志を引き継ぎ、熱心なMG Car Club復活運動が始まりました。
そして1963年になると、10名のMGオーナーが設立発起人として集まり、日本のMGオーナーとMG愛好家の為の規律あるクラブ作りの準備が具体的に進められました。今度は英本部から快く登録が承認され、同1963年10月24日、東京の麻布プリンスホテル(当時)において、およそ20名の賛同者を集めて新生MG Car Club Japan Centreの設立パーティーが催されました。
初代会長には、やはりMG愛好家である三井グループの総師、三井八朗右衛門氏が選出されました。クラブの会則が制定され、またクラブエンブレムは英本部のそれに準じた上部にJapan Centreのロゴを戴くデザインに制定されました。
創立早々、MG Car Club Japan Centreは当時MGの輸入元であった日英自動車から、輸入が始まって間もないMGBによる第2回日本グランプリ参加の要請を受け、折から来日中であったスターリングモス氏のテストとチューニング、アドバイスを得て仕立て上げられたMGBは、会員の手によってグランプリ完走を果たしました。
また当時からMGスピリットの伝統に沿って、スポーツイベントが盛んでした。日本自動車連盟(JAF)に加盟クラブとして登録もしました。箱根芦ノ湖スカイラインでのヒルクライム、大磯ロングビーチでのタイムトライアルなど、他の追従を許さない豪快で独自性のある催しが名物イベントとして世間の注視を集めたのもこの頃です。
しかし、こうした評判が広まるにつれ、クラブの名物イベントはJAF加盟クラブとしての責任もあり、公認イベントとして一般から多くの参加者を招く事になり、その結果イベントを運営する会員の負担が急激に増していきました。そのような状況の中、クラブで議論を重ねた結果、JAF加盟クラブの資格を自ら返上し、本来の会員による会員の為のクラブに回帰する事を新たに誓い合いました。その結果、創立以来クラブの伝統である民主意識の高さにより会員が公平にクラブライフを愉しめるようになったことで、MG Car Club Japan Centreはささやかなワンメイククラブでありながら、民主的なソシアルクラブに成長したのです。
その後も様々なイベントを行ってきましたが、その中でも代表的なイベント、1979年より軽井沢を舞台に会員のためのMGによるコンクールデレガンスで出発した ”The MG Day in KARUIZAWA” は、現在も日本各地のMGカークラブの協力を得て盛大に開催されており、2026年には第34回を迎えるまでになりました。
2023年には創立60周年を迎えましたMG Car Club Japan Centreは、その歴史が築いた独自の伝統と慣習を守りつつ、現在も全クラブ員が力を合わせ、新しい時代に相応した魅力あるクラブ組織に発展するよう継続的な努力を続けております。
